8月17日、芥川賞作家の高橋三千綱が亡くなったそうです。僕は最近の高橋の作品を頻繁に読んでいたわけではないので、高橋の熱烈なファンかといえばそういうわけではないのですが、高橋の存在は一時期僕の人生にすごく影響を与えていたので、その高橋が亡くなったと聞いて、当時のことを思い出すと同時に、なんだろう、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
人生を変えた『九月の空』
今でもよく憶えているのですが、僕が高橋の作品にはじめて出会ったのは、高校受験に向けた模擬試験でした。日曜日に受けにいった代ゼミだか旺文社だかの模擬試験で、国語の長文問題の題材となっていたのが、高橋の『九月の空』だったのです。もちろん試験ですので、一部分が抜粋されていたにすぎませんでしたが、その面白さに衝撃を受け、帰り道に本屋さんに寄って本を買いました。そのときに買った角川文庫の『九月の空』は、今でも帯付きで手元にあります。
『九月の空』にそれほどまでに魅かれたのは、主人公の不器用で硬派な生き方でした。主人公は高校一年生。父親への反発や性の悩み、そして外の世界への憧れをごちゃごちゃに抱えて、家や学校やバイト先で違う自分を見せながら生きる主人公の不器用な姿がリアルでしたし、一方で剣道に向き合うときにだけ見せるひたむきで硬派な主人公にすごく憧れたのです。
この本に出会った当時は80年代後半。今考えても、本当にどうしようもない時代でした。世間は好景気に沸いていましたが、若者は「しらけ世代」と呼ばれていたように、暑苦しい生き方が嫌われ、無関心でクールに生きることがカッコいい時代でした。もちろんそれは中学生も同じで、学校や先生に反抗する熱い不良たちはとうに去り、勉強やスポーツに真面目に向き合うことが恥ずかしく、バカにされる時代でした(それはその世代に普遍的にあることなのかもしれないけれど、この時代はその傾向が極端だったと思うのです)。
自分も、自分が何をしたいのかに悩む一方、周りにどのようにふるまったらいいのか、悩んでいました。そんななか、周囲との関係をある意味粗雑にすり抜けながら、剣道という軸をもって自分に向き合う、そういう『九月の空』の主人公の姿に、すごく励まされたのでした。
そして、まもなく高校に進学した自分は、すぐに剣道部に入部しました。
いまから考えても、ずいぶん無茶をしたなと思います。僕は当時も今も、運動音痴でしたし、体育会系ノリが苦手な典型的な文化系人間でした。実際、入部してからの稽古はいつも辛かったですし、入部したことを後悔したことも何度もありました。
それでもなんとか最後まで部活を続けて、何というか、高校と剣道部の生活は自分の人生の中で、すごく特殊なものになっています。勉強以上に時間を使った唯一の時期でしたし、また自分の人生の中での友達を眺めても、高校時代の部活の友達はずいぶん異色でした。
思えば、そんな風に意識的に自分の人生を選んだのは、これが初めてだったように思います。『九月の空』は、そのきっかけを僕に与えてくれました。もし『九月の空』に出会っていなかったら、たぶん僕の人生は全く違うものになっていたと思うのです。
青春もの
『九月の空』の一篇である「九月の空」が芥川賞を受賞したのは1978年ですから、高橋が30歳のとき。その後、高橋は広いジャンルで作品を残しています。時代ものやスポーツもの、エッセイ、そしてマンガの原作まで。高橋はそれぞれで代表作を残していますが、『九月の空』のような青春ものもその後いくつか残していて、時々に楽しませてくれました。
『九月の空』は掲載されている三篇で完結したと誰もが思っていたのですが、1992年にまさかの続編が発表されました(『少年期』(1992年→1996年、集英社のち「少年期 『九月の空』その後」として文庫化))。『九月の空』の主人公のその後、さらに自身の世界が広がっていく様子が描かれています。前作のようなストイックさと熱さはなくなっていましたが、戸惑いつつも新しい世界に飛び込んでいく主人公の姿は、すでに高校生になっていた自分にとっては、また新しい刺激になりました。
また、その前年には、『不良と呼ばれた夏』(1991年→1996年、祥伝社のち文庫化)で、野球をテーマに青春ものを書いています。『少年期』が『九月の空』の時代をそのままにした続編だったのに対し、『不良と呼ばれた夏』は1990年代の新しい時代を舞台にしていて、『九月の空』『少年期』とはまた違った、軽薄でクールな新しい青春が描かれています。すっきりとしたカタルシスが最後に用意されているところなど、芥川賞作家が書いたものとは思えない娯楽作になってはいますが、それもまた新しい時代と新しい若者像を描きたいゆえのプロットなのかな、とも思え、こちらもまた、自分を見つめなおすきっかけになったものでした。
その後何度も読み直している『九月の空』とは異なり、『少年期』も『不良と呼ばれた夏』も当時読んだきりで読み返したり、振り返ったことがない作品だったのですが、今回改めて自分が高橋に受けた影響を考えたときに、これら一連の青春ものもまた、自分にとって重要な作品だったのかなと、思われました。
まとめ
高橋の訃報を目にして、『九月の空』が自分に与えた影響を振り返り、文章にしてみて、その大きさに驚きます。この角川文庫の表紙を見るだけで、30数年前にはじめて読んだ時の衝撃と、その後自身が剣道部に飛び込んだ決意と、その後の苦労や楽しさが、まるで昨日のことのように思いだされます。そんなにも自分に深く影響を与えてくれた『九月の空』という作品と高橋に感謝し、合掌したいと思います。
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